中米諸国はこの挙に対し一致団結して当たり、国民戦争が始まった。イギリスやバンダービルド財閥の支援を受けたコスタリカを主体とした中央アメリカ連合軍は、リバスの戦いでウォーカー軍を破り、1857年にウォーカーは打倒された。
また、先の国民戦争でウォーカーを招き入れてしまったことが仇になり、以後の自由党は暫く勢力を失い、その後しばらく保守党政権が続いた。
1893年、自由党のホセ・サントス・セラヤが政権を握り進出を始めたアメリカ資本の援助を受けて鉄道建設などを実行した。 1894年、セラヤはイギリス領だった大西洋側のミスキート王国をアメリカの支持の下に併合し、ニカラグアは太平洋と大西洋の両方に面した国家となった。またセラヤはニカラグアをグアテマラに代わって中米の指導的な国家にするために手を尽くし、エル・サルバドル、ホンジュラスと共に1896年には大中米共和国を樹立するが、1898年にはこの国家は崩壊してしまった。
セラヤはその後独裁者として長期政権を維持するが1909年、アメリカ政府を激怒させてしまい失脚することになった。
[編集] アメリカ合衆国の進出 (1909年 - 1933年)
アウグスト・セサル・サンディーノ(中央)セラヤ失脚後は様々な政権が入れ替わり立ち替わりし、ブライアン・チャモロ協定が結ばれるとようやく建国当時からパナマ案と並んでの候補だった、中米地峡運河建設のニカラグア案が正式に放棄されることになった。
1927年、自由党のモンカーダらが保守党のディアス政権に対しての戦争を始めた。この戦争はすぐに停戦してしまったが、停戦後再びアメリカ海兵隊が上陸してくると自由党軍のアウグスト・セサル・サンディーノ将軍だけは停戦に応じず、ニカラグア民族主権防衛軍を率いて選挙監視を行うために駐留していたアメリカ海兵隊(占領軍)を攻撃した(サンディーノ戦争)。サンディーノ戦争はラテン・アメリカ諸国の支援を受けての、世界初の近代的なゲリラ戦争となった。アメリカ海兵隊は被害を恐れ、ニカラグア国家警備隊を養成し、海兵隊と共に国家警備隊がサンディーノ軍とジャングルの中でゲリラ戦を行うことになった。
しかし、お互い決め手にかけたまま時間だけが経ち、遂に選挙監視の任務が終わったこと、世界恐慌の影響でニカラグアに駐留する費用も惜しくなったことなどを原因に1933年、アメリカ海兵隊が撤退してサンディーノ戦争は終結した。しかし翌1934年、サンディーノはアメリカ合衆国子飼いの国家警備隊長アナスタシオ・ソモサ・ガルシアに暗殺され、1936年にソモサはクーデターを起こして自ら政権についた。こうして以降のニカラグアは1936年から1979年まで43年に及ぶソモサ王朝の支配が続くことになった。
[編集] ソモサ王朝 (1936年 - 1979年)
1937年に大統領に就任したアナスタシオ・ソモサ・ガルシア(タチョ)は、傀儡大統領を据えて政治と国家を私物化し、国会警備隊を利用した純然たる力の政治が行われた。
対外政策ではアメリカ合衆国に追従する一方で、隣国のコスタリカと二度、ホンジュラスと一度戦争を起こすなど、中米におけるニカラグアの影響力を拡大することに余念がなかった。
タチョが詩人に暗殺されると、長男のルイス・ソモサ・デバイレが後継者として実権を掌握した。ルイスは自由党(PLN)をコントロールし、形だけでもメキシコの制度的革命党(PRI)のような、PLNによる一党独裁体制の体裁をとっていたが、1963年に病死した。
後を継いだタチョの次男のアナスタシオ・ソモサ・デバイレ(タチート)は純然たる力の政治を目指し、国家警備隊による暴力を政権基盤として独裁を行った。
1972年にマナグア大地震により、首都マナグアが壊滅すると世界中からニカラグアへの義捐物資が送られたが、タチートはこれを全てソモサ一家とその関連企業の間で着服し、国民の不満は一層高まることになった。
[編集] ニカラグア革命とコントラ戦争
詳細はサンディニスタ革命、コントラ戦争をそれぞれ参照
1936年から続いていたソモサ家独裁に反対する中道・左派の幅広い結集を受けて1979年武装蜂起したサンディニスタ民族解放戦線 (FSLN) に対し、7月19日アナスタシオ・ソモサ・デバイレ大統領はアメリカに亡命した(第一次ニカラグア内戦)。こうして43年間におよぶソモサ王朝は終焉し、サンディニスタ革命=「歌う革命」が実現した。
サンディニスタ革命はニカラグア固有の条件を考慮した独自の革命であり、社会正義を実現するために遅れた部分を改革するというところから始まったものであった。このため、当初は非同盟政策、混合経済、複数政党制などの国造りを目標にして、キューバやソ連などの東側諸国から一線を画するつもりでいたが、次第にアメリカ合衆国やソ連やサンディニスタや国内保守派の思惑が入り乱れ、これが第二次ニカラグア内戦へと繋がるのである。
「人権外交」を掲げたジミー・カーター合衆国大統領とは違って革命を敵視したロナルド・レーガン合衆国大統領は“自由で民主的な政権を作る”という名目の下、「エル・サルバドル死守」を掲げて中米に介入を始めた。また、 オリバー・ノースがアメリカ政府とは独立した支援活動を繰り広げるなど、水面下でのさまざまな暗躍が噂された。
アメリカ合衆国は経済援助を停止し、CIAなどさまざまな組織を通じて、旧ソモサ軍の兵士や、エデン・パストラをはじめとするサンディニスタの反主流派、カリブ海のモスキート海岸の先住民、ミスキート族などを反政府勢力コントラに組織し、ニカラグアに第二次ニカラグア内戦を強いた。
1984年から1985年にかけて、革命政権「国家再建会議」から民政移管する形式がとられ、選挙によってサンディニスタ党首で再建会議議長のダニエル・オルテガが大統領となった。このオルテガ第一次政権は、ニカラグア国内の鉄道を撤収し、大規模な私有財産の接収を行った。また、反対者を秘密警察を通じて誘拐・拷問・幽閉などの徹底的な弾圧を行ったので、多くの知識人・富裕層がアメリカのマイアミやロサンゼルスに亡命した。この結果、ソモサ以前は中米一の繁栄を誇っていたニカラグア経済は完全に破壊されてしまう(第一次オルテガ政権が幕を閉じた時には、GDPはソモサ末期の1979年の30%以下にまで低下していた)。
1986年6月、国際司法裁判所は、アメリカ合衆国の主張を全面的に[要出典]退け「機雷封鎖、コントラ支援を含むニカラグアへの攻撃は、国連憲章をふくむ国際法に違反」とする判決を下すが、アメリカはコントラ支援をますますエスカレートさせる。11月、アメリカ合衆国のイランへの武器売却代金がニカラグアのコントラ・グループに流れていた事が発覚(イラン・コントラ事件)。この際にアメリカ合衆国の手先となって支援資金の洗浄をしていたのはサレム・ビンラディン(オサマ・ビンラディンの兄)であった。[要出典]
[編集] 終戦、和平合意、その後のニカラグア
2007年に再選したダニエル・オルテガ大統領1987年の中米和平合意に沿って、1988年3月、政府と反政府勢力問の暫定停戦合意が成立した。1990年2月、国連による国際監視のもとで大統領選挙を実施した。オルテガをはじめとするサンディニスタ幹部はこの選挙での勝利を予想していたが、サンディニスタは僅差で敗れ、国民野党連合 (UNO) のビオレータ・チャモロ候補が初の女性大統領に選出された。4月にチャモロ政権が発足。6月にはコントラが武装解除・解体完了を宣言する一方、国軍(それまで革命前の反政府武装勢力時代からの名称「サンディニスタ人民軍」を用いていたが、改称した)が8万人から1万5千人に削減され、内戦は実質的に終結した。サンディニスタ内ではクーデターを起こして政権を確保しようとする動きもあったが、オルテガ大統領はこれを制し、無事民主的な政権交代が実施された。その一方でダニエル・オルテガの弟が国軍の最高司令官に就任するなど、サンディニスタと野党のお互いの妥協が認められた形となった。
1996年10月20日に、大統領等選挙が行われ、自由同盟(AL、中道右派連合)から元ソモサの部下だったアルノルド・アレマン候補が当選した。1997年1月10日、アレマン新政権発足する。同時にダニエル・オルテガの養女へのセクハラなど、FSLN幹部の汚職がスキャンダル化し、サンディニスタ革新運動が分裂した。
2001年11月4日に行われた総選挙で、エンリケ・ボラーニョス前副大統領が選出、2002年1月10日にボラーニョス政権発足。前アレマン大統領の在任時の汚職疑惑が社会問題化する。2006年11月5日に行われた大統領選挙で、カトリック教会を味方につけ貧困撲滅を訴えた、FSLNのダニエル・オルテガ元大統領が16年ぶりに当選した[1]。2007年1月10日にオルテガは大統領に就任した。
[編集] 略年表
1502年9月:クリストバル・コロン、第4次航海でホンジュラスからニカラグア東海岸のココ川の河口に上陸
1520年頃:スペイン人による植民地化が活発になる
1573年:グアテマラ総督領に編入
1770年:スペインの植民地としてグアテマラ総領事領に併合された。
1811年:レオン・グラナダで反乱。独立運動が急速に発展
1821年:独立宣言。その後メキシコ帝国に編入される
1823年:中米諸州連合結成
1838年:中米連邦分裂。完全独立
1855年:アメリカ人ウィリアム・ウォーカーが自らをニカラグア大統領と宣言
1927年-1933年:サンディーノ戦争
1934年:サンディーノ暗殺
1936年:アナスタシオ・ソモサ・ガルシア将軍政権掌握
1974年:民族解放戦線、「サンディニスタ民族解放戦線」に名称変更
1972年:マナグア大地震。首都壊滅。全世界からの援助をアナスタシオ・ソモサ・デバイレ(ソモサ家次男、大統領)が着服。
1979年:サンディニスタ革命
1981年:アメリカのレーガン大統領が援助停止
1984年:総選挙でサンディニスタ政権が圧倒的支持を集める
1985年:大統領選挙に基づくオルテガ政権の継続。アメリカのレーガン大統領はコントラを“自由の戦士”と表現して賞賛、経済制裁を開始
1990年2月:大統領選挙
1990年4月:チャモロ政権発足
1997年1月:アレマン政権発足 外為・南アフリカランド
2002年1月:ボラーニョス政権発足
2007年1月:ダニエル・オルテガ政権発足
[編集] 政治
詳細はニカラグアの政治を参照
大統領を元首とする共和制国家であり、大統領は行政権を行使する。大統領候補は、副大統領候補と共に立候補し、国民(満16歳以上の男女)による直接選挙によって選ばれる。任期は5年で、連続再選は禁止されている。内戦中は解放の神学の神父が閣僚を務めたこともあった。現行憲法は1987年憲法である。
立法権は複数政党制の議会によって担われており、議会は一院制である。議員は93人で、任期は5年である。先物取引
司法権は最高裁判所によって担われている。
主な政党はサンディニスタ民族解放戦線、自由連合、サンディニスタ革新運動など。
[編集] 国際関係
2007年のFSLN政権の樹立後、反米を標榜するベネズエラのウーゴ・チャベス政権や、エクアドルのラファエル・コレア政権との友好関係が強化されている。
[編集] 地方行政区分
詳細はニカラグアの地方行政区分を参照
FX
ニカラグアの県ニカラグアは15県 (departamento) と、大西洋側の先住民ミスキート族による2自治地域 (region autonomista)に分かれる。15の県は153のムニシピオ(municipios)によって分割される。北アトランティコ自治地域と南アトランティコ自治地域は、かつて単一のセラヤ県だったものが、1985年のサンディニスタ政権とミスキート族との和平成立により現在のように分割された自治区なった。
ボアコ県(ボアコ)
カラソ県(ヒノテペ)
チナンデガ県(チナンデガ) FX
チョンタレス県(フイガルパ)
エステリ県(エステリ)
グラナダ県 (グラナダ)
ヒノテガ県(ヒノテガ)
レオン県(レオン)
マドリス県(ソモト)
マナグア県(マナグア、首都)
マサヤ県(マサヤ)
マタガルパ県(マタガルパ)
ヌエバ・セゴビア県(オコタル)
リバス県(リバス)
リオ・サン・フアン県(サン・カルロス)
北アトランティコ自治地域(プエルト・カベサス)
南アトランティコ自治地域(ブルーフィールズ)